先日、観劇ついでに母に会いに行きました。
なんと4年半ぶり、私あの劇場にそんなに行ってなかったのか!じゃなくて。
母、と言うか実家とひたすら距離を置くようにしていたのですが、今回自分の引っ越しなどありたまには顔見て何か報告しようとか、この機会に気持ちの解決していないものをぶつけてこようと覚悟できたので。
覚えてるのは私だけ
もう、25年とかまえかな?
父はずっと病気で母は何か面倒に巻き込まれているなと感じ取れて、弟は…あいつ何してたんだろう。
その頃に、母と私の間に金銭的な問題が発生して、そのお金はそのときの私には必要なお金で。
…母、全く覚えてませんでした。
覚えてないもの謝罪しようがないしないものは返せないよね。
返して欲しいけど、なんともならないそれは分かっていたけど、覚えてないとか。
そんなものなんでしょう。
覚えてても、それ以上何も思わないでしょうが。
ちなみに母との金銭的確執1号はこれですが、何号まであったかなー
とりあえず返ってきた分は忘れることにしています。
父の覚悟
父の病気は肝臓でした。
学生時代の十二指腸潰瘍の手術でC型肝炎をもらいそこからの長患い。
56歳で肝不全でなくなりました。
その父がですね、言ったのですよ。
「俺は先生に命預けるから、お前らは何もするな」
治療が失敗に終わっても何もするな
民間療法を相手にするな
信仰で父の命は救われないから祈るな
「俺はなるべくしてこうなったんだ」
こんな感じのことを言ってたと思います。
そうは言われても、周りがね
よく効くなんとかをくれたり
これをしないと治らないよとかお祈りや献金をさせようとしたり(ここめちゃ柔らかく書き換えてますお察しください)
家族がそれぞれ考えたのは生体肝移植、これは真剣に悩みました。
全員別々に思いつめていたのに、結論は同じでした。
父はそれを望まない
それ以前に、手術できる状態ではなかったのですけどね。
本人の責任でなった病気ではなく、比較的早くに両親を亡くし自力で大学を出て、何も恨まなかったわけないと思うのに。
なるべくして、となぜ父が言えたのか私にはわかりません。
私はまだその境地には行けないと思います。
んでもって私は
父の病気について「お酒が原因?」と聞かれることが多いです。
まぁ大酒飲みでしたが、病気は肝炎由来です。
「運が悪くて病気になった」と答えてます。
私自身も
「なんでその病気になったの」とちゃぶ台ひっくり返したいこと聞かれますが、いやー双極性障害って医学的にまだまだ解明されてないからねぇ
「運が悪い」と答えてます。
なるべくしてかはわからないけど
医者を信じる
エビデンスのない民間療法に手を出さない
治してくれると言う神様に頼らない
ここは、父の子供だなと感じています。
あ、富士山の画像は父が好きだったから、それだけです。
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