もう、メチャクチャ今更感のある表現なんですけど。
「障害は個性」について改めて書いてみます。
もちろん、ここはBipolar-Questのサテライトみたいなものだし、私自身双極性障害なので「双極性障害」「精神障害」について考えているのですが。
私としては障害は障害病気は病気
っていや、障害は障害だし病気は病気でしょう。と私は思っているんですよ。
障害とか病気に逃げるなってすごい意見を目にしたんですが、いやだって本人めっちゃ辛いよ。
ってか純然たる障害だったり病気なんですから、お薬飲んでやっとやっと社会生活を維持しているんだから。
陳腐な例えで申し訳ないですが、車椅子の人に歩行移動ができないのは個性と言わないだろうし、視力の悪い人にそれが個性だからメガネはいらないとは言わないだろうし、聴力が落ちている人に聞こえないのが個性なんだから補聴器とか言うな、とか言わないでしょ?(あーでも「聞こえない」は傍からわからないから別の問題が発生するんだよね)
しかも、障害カンケーネーとかいやいやいや確かに過度な障害者扱いは時々思うところはあるけど…ねぇ?
他にも「薬なんて飲むな」と言う無責任極まりないのとか。
と脱線してますね。
個性に対する配慮って難しくない?
一般的に個性というと例えば「この人変わっている」(これもメチャクチャ言われますがw)とかそういうことになっちゃって、何が困っているんだか、困っていることがわからないと周りだって本人だってなにをしたら負担が減るのかわからない話になるような気がするんですよね。
視力が悪いのも聴力が悪いのも歩行困難なのも私みたいに頭がとっちらかったり感情コントロール不可能なのも、個性ですかねぇ?だって、困ってるんですよ。
困っていない本人の性質は確かに個性なのかもしれない、だけど困っている場合は違うと思うんですよ。
困ってない人に配慮はしませんからねぇ
個性と扱うことでの問題の放置
困っている人にその問題について「それがあなたの個性だからそのままで」とか言われると、簡単に頭が沸騰する私は…何かしでかしそうで怖いですねぇ。
「とっちらかる」のも「コントロールできない」「ちょっと執念深い」「気を使いすぎ」この辺褒められるもんでもないし、変わるなとか言われてもホント困るだろうなぁ、いや変わりたいです。
困ってる問題に対しては配慮が必要だし、病気とか障害ってそういうものだと思うんですよねぇ。
ただし、より良い方向に活かしていける特性は存在すると思います。
たとえば私は執念深いというか粘着質なんですが、おかげさまで面倒な調べ物は比較的得意です。(ん?これ双極性と関係あるの?)
あとはまぁ何かできないことがあるからこそ、気がつくいろんなものは確かに有りますね。
んー何をいいたいのかなぁと思ったら結局
「あなたの問題は個性で、それは良い部分」で放置しちゃうと下手したら命にかかわるよ
ということがいいたいのではと思った次第で。