「ピア」という言葉とうまくなじめないちどりです。
で、これは某元気が+な冊子に投稿して没になったモノをリライトしたモノです。
ご笑納くださいませ。
ピアとの出会い
時代はまだ20世紀…というと大げさですが、
まだパソコン通信という文字だけの通信文化があったころに精神疾患に関わる人たちのグループを友人に紹介されました。
その頃私は不安定な精神状態で、心配もしてくれていたし困ってもいたと思います。というか困りますよね?
「同じように困ったり悩んだりしている人が書き込んでいる場所がある」そんな事を言われた気がします。
そのグループには私のように自分の状態がまだ精神の病気かつかめない人も、
明確に重い精神の病気であろうぶっ飛んだ(と私は感じた)人や専門知識を持った人色々居ました。
その後私は精神科に通院するようになり、そのグループからもいろいろな知識を得ていくようになりました。
その頃に結婚したのですが、報告の書き込みは「うつ状態なのに重大な決断をした」と書いた覚えがあります。
結婚して首都圏に引っ越したためオフ会に参加できるようになりました。
全国から書き込みがあってもやっぱり便が良いのは首都圏・東京なんですよね。
初めてのそのグループでのオフ参加はかなり緊張しました。
自分も同じはずなのに精神の病気の人は安全なのだろうかとか失礼な事も思いました。
参加してみてそれぞれ病状は重い軽いそして違うこと、自分の存在を否定せずにいられること、生きていること等から「解放」です「ときはなち」という表現もできますが、そういうことを実感しました。
また、そこにはいろんな種類の精神の病気の人が居て、違う病気だけど同じ、同じ病気でも違うその二つを知ることができたというのは後に役立っていきました。
時代の流れでネット環境も変化していき、最後グループそのものも存在がなくなってしまったのですが、
そこで得た情報や感覚は今でも自分の柱の一つとなって支えてくれています。
そのころ、そして今
たくさんの人に助けてもらったり、議論したり。
病歴の浅い段階で色々経験できました。私には向いていたんだと思います。
あと、どうしても集まりは首都圏で(というかぶっちゃけ東京都心で)になってしまうと言う事実を突きつけられましたね
もちろん違う地域でも出来るんですよ、でも当時は難しかったまたは見えていなかった。
情報も今ほど行き渡っていない時代なので、そうですね例えば自立支援が成立するときの大騒ぎとか。
今だったら情報源一発ドンで 「あーぁ」になったかな?
でも何より「人は色々」という当たり前のことを改めて理解できる機会だったと思います。
あのとき、つないでくれた友人には感謝しかなく今でもやりとりがありますが電話番号は教えてくれません(苦)
まぁつまりかなり迷惑かけてたんですね。
今はその頃と比べると、人のつながりは出来やすくそしてもろいと感じています。
でもねぇ違うけど同じで同じでも違いますから。
私の根っこの大きな一部分だと思っています。