先日診察時に「私が運転免許試験場で診察書をもらってきたら先生どうお書きになりますか?」と微妙に意地の悪い質問をしたのですが。
「現在のところ運転に支障があるようには見えないので今の段階では運転OKと書きますよ」
…
え?
実のところ取ろうとしてるのですがと言う相談したわけではなく流れだったので
いやービックリ
と言うか考えてみればはっきり運転不可と言った主治医も過去にいなかった、って当たり前かそもそも運転免許を持っていない。
持っていない理由は極めて単純で必要ないと思っているから。
今だって身分証明書以外に必要だとは余り思えない。
ただ、その身分証明書で運転免許以外のものをだすと訝しげな目で見られると言うのをあまりにも多く体験して嫌になってきている。遅いね。
そもそも両親共に運転しなかった。
父は職場関係で新人の頃だけ必要だったということで2輪の免許を持っていて私が学齢期になる頃にはもう乗っていなかった。なんでも祖父が亡くなるときにお前は免許はとらないようにと言い遺したらしい…その時父高校2年生
母はなんで免許を取らなかったのか聞いたことはない、母の田舎こそいやコレは必要でしょって場所なんですが。
何度か転勤で住まいは替わったがすべて社宅だったので、社宅ってだいたい公共交通機関で会社に行けるところにあるんですよね。(シャトルバスというのも聞いたことが)
実家を立てる時も最後にかつ長く住んでいた社宅の側=自動車無くても生きていけるところを両親が選んだので
母方の祖父が60を超えて免許を取ろうとして大騒ぎになったことは覚えている…つまり祖父も持っていなかった。
ついでながら母方のおばの旦那さん(義理のおじ)は定年退職間際に退職後でかけるためにと免許をとった直後肺がんが発覚して結局試しに1度近所をぐるりと運転しただけで天国に逝ってしまった。
ん?よく考えると母方のおじ(母の兄)もその奥さんも少なくとも運転するという話を聞いていない。
正直あの土地でそれってあるの?と言う田んぼの真中だ。
もう、そういう家系ってかおじは国鉄に勤めてた人だ (もしかして一族総出で鉄なのか?)
余談ながら今このうちにもがん患者がいる。
重曹水でガンが治るとかそれをリツイートした人たちはとりあえず亡くなったおじや生きて戦い抜いてる私の親戚達に謝ってほしいものです、コレ真剣に思いますね意地が悪いわけでもなんでもなく。そういった反論を批判とかいってブロック(批判をブロックするNPOってスゴすぎる)なんて発言してる暇が有ったら不適切だって認めたらいいのに(認めてるからツイートが削除されたんですよねぇ)
↑話が通じちゃってるこの発言の対象者以外の方は恐れ入りますが今回はコレスルーしてください。
さすがにキレました私が大人げないのもわかってますが改めて書いておかないと此方が本気で命の危機ですから。
まぁなんだか環境的にずーっと免許を持っていない人に囲まれて生きていた感じがあるんですよね。
住んでいた場所も割りとなんとかなってきた。
と言うか何とかしてきたし。
そう、どう考えても免許がないとだめでしょって土地でも何とかしてきた人に囲まれると
どこでも何とか生活してしまうもんなんですよ。
というわけで日常に自家用車のある生活をしたことがありませんでした。
それを40歳を超えて突然そんな環境になって、駅まで20分はかからないので歩きますし、障害者手帳でバス半額になりませんから。
車でないといけないところまで出かけて買い物するとか意味不明なんですよ私にとっては。
だからといって私の行動範囲が狭かったわけでは決してない。
というわけで なんか私が運転能力がないからとってなかったのではなくて
単純に必要じゃなかったんだと改めて気がついたのですが。
まぁ現実は自転車に乗って電信柱にぶつかるとか…(苦笑)一応自覚はあるので。
でもコレバイク乗る人に言うとそれはバイクだと当てはまらないと何人かに言われました。
注意しないといけないのは確かだけどエピソードに引っ張られすぎていたんですね。
親の「お前は鈍いから」の呪縛も有った気がします。
じゃなくて呪縛そのものですね。
弟は大丈夫だけどお姉ちゃんはあれしちゃだめコレしちゃだめコレ出来ないでしょ?
もう少しはっきり言うと「お前はだめなやつだ」って呪縛
なんか話があちこちに行きましたが
呪縛が解けたかはわからないけど
精神科医は私に運転OK(ただしこの一年ならと付け加えたので完全に大丈夫と思われては居ない)と言う言葉を口にした。
コレは 私にとってとても とても 大きな言葉なのだ。