はい、最近のエネルギーはほぼ怒りで構成されていますBipolar-Questちどりです。
精神障害当事者をかれこれ18年やっています、選挙権もらえますね。
(一応注釈、初診から18年という意味)
1年前の2016年7月、神奈川県内で残酷な事件が起きました。
ちょっとこの事件の本質は今回触れません。
容疑者は「障害者は必要ない」という意図のことを発言し、残念ながら一部その意見を指示する輩がいました。
そして、その容疑者に精神科の措置入院歴があることがわかると今度は精神障害者へのヘイトが始まりました。
そして、なんとなく世の中はこの事件を記憶の隅の方に追いやろうとしているように感じます。
まぁもうすぐ1年ということで、それなりに話題とはなると思いますが。
この事件の後、神奈川県は「ともに生きる社会かながわ憲章」を定めました。
一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします
一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します
一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します
一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます
ここまで書いておいてあれですが、私これ嫌いなんです。
何に共感して良いのかわからない。
そもそもこの「私たち」って障害者含まれていませんよね?
もうね、障害の「がい」が気にならないほどだめなんです。
県民センターのエレベーターに一時期これが何枚も張られていて暴れてみようかと思ったぐらい苦手だめ無理。
一番は
ねぇ?なんでこんな当然のことをわざわざ定めないといけないの?
ということですね。
私としては、「すべての人の命は大切」「その人らしく暮らすことのできる地域社会であるべき」「障害者は社会参加しているし壁や偏見や差別はあってはならない」「そんなものみんな思っていることだろう」と信じていたんですよねぇ、こんな憲章とやらができるずっとずっと前から。
とはいえ差別や偏見は当然感じていますけど、もうそれはそれは書籍にできるぐらい(誇大表現)
で、まぁその差別や偏見を最近さらに増幅して感じることが行政がらみでありまして。
おいおい、ここ神奈川県内だよね?と苦笑いしているわけですよ。
で、やっとわかりました。
このかながわ憲章ってつまり
無知でわざわざ言わないとわからない人のために仕方なく作ったんだろうなぁ
と
でもね、残念ながらその人たちにはこの言葉は全然届いていないよきっと