自分が何に困っているかは知ってほしい、でも何もできないならそのままそーっとしておいてほしい、できることがあれば声をかけてほしい。なスタンスでやっていますちどりです。
さて、1年前の相模原での事件は被害者の名前が未だ匿名で報道されてます、というか警察が発表していません。
そのことに対しても、再び静かに議論になっていますが。
私、今回の件に限らず被害者の名前や人となりを「世の中」に公表する必要があると思っていない、というか意味がわからないんです。
1年たって写真の提供や取材に応じる遺族が出てきました、その報道の中でずっと遺族に接触してきたけどやっと応じてくれた的な表現が時々見受けられて。
いやえっと、あんたたち遺族が誰かバッチリ突き止めてるじゃん。
とってもつらい人たちに「教えてくれ教えてくれ」ってつきまとっていたんだよね。
と思ってしまうんですねぇ。
名前や、どんな生き方をしていたかを世の中に伝えたいと思い取材に答えている遺族の方の気持ちはそれはそれで理解したいとは思っています。
匿名であろうと無かろうと多分被害者報道ってそういうものなんですが。
これが加害者の方になるとどんなことになっているかと思わんでも無いです、現行犯加害者本人は別としてその家族まで開示する必要がやっぱりわかりません。
それこそどんな人物だったのかは検証する必要はあるのでしょうが。
家族が報道の仕事をしていましたが、被害者について調べる・家族の取材をするというのがどういうことかと言う話を聞いたことがあります。
何でそういう話になったのか全く覚えていないのですが、少なくともうちの家族としてはいやな仕事だったんだろうなとは感じました。
私自身は、自分に障害があるとか無いとか関係なく何があったとしても、自分の意志と関係なく自分の生き方や名前が世の中に開示されるのは希望できませんね。
それほど大げさなことを言いたいわけでは無く「本人はそれを望むのだろうか?」結局そこなのかなぁと。
本人が開示しようとしていない情報は、他人がどうこうしてはいけないと私は考えています。